ゴー宣DOJO

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笹幸恵
2020.7.13 00:15ゴー宣道場

ゴー宣&まんぷく道場

今回のゴー宣道場「コロナの正体」は、
木村もりよ先生をお迎えしての開催でした。
木村先生が、
人間はウィルスと共生していくしかないということ、
コロナ恐怖症が蔓延する中にあって
「何度も言い続けていくしかない」と
繰り返しおっしゃっていたのが印象的でした。

今のコロナ恐怖社会において問われているのは、
国家の根幹としての法のあり方、社会のありよう、
そして一人ひとりの死生観ではないかと思います。
議論の最中、私は、かつての戦場に慰霊に出かける
おじいちゃんたちの姿が思い浮かびました。
当時、80~90代だった元兵士たちは、
決して快適とは言えない南方の島へと
慰霊に出かけ、炎天下、各地を巡ります。
そこに疲れの色はありません。
むしろ、遺児のほうが次々と腹痛や発熱でダウンします。
おじいちゃんたちは、心なしか元気になって帰国します。

彼らの家族には、二通りのパターンがあります。
ひとつは「どうせ止めても聞かないから」と南方行きを黙認するタイプ。
もうひとつは、「何かあったら大変だ」と、何が何でも反対するタイプ。
後者は、もちろんおじいちゃんを思ってのこと、
心配でたまらないから「行かないでくれ」と言うのでしょう。
それを十分承知しながらも、しかしどうも腑に落ちない、
「行かせてやればいいのに」と思ってしまう自分がいます。
極端な話、もしこのおじいちゃんが南方に慰霊に出かけて、
何らかの病状が悪化して死んだとしても、きっと本望でしょう。
かつての戦友と、70年の歳月を経て、同じ場所で死ぬことが
できるのですから。
少なくとも私が元兵士なら、そう思います。
だから「止めてくれるな」と。

そして元兵士たちの多くは、こう言います。
「生きて帰ったことのほうが不思議なくらい。
だから私の戦後は、おまけの人生です」
死線を超えてきたからこその達観でしょう。
そうした達観を得た人のほうが強いのは言うまでありません。

今のこの平和な世の中、多くの人にとって「死線」はありません。
何もかもが便利で、美しく、人工的かつ無菌的です。
「死」を意識することのない人生観や人間理解など
果たしてあり得るでしょうか。
コロナ禍における世の中の右往左往を見ていると、
日本人の病理は根深いと言わざるを得ません。
コロナの対応が良かったか悪かったかというより、
私たちはコロナによって突き付けられたもっと大きな問題に
本当なら向き合わなければならない、
そんなことを考えさせられた回でした。


久しぶりに、一般応募者も含めて開催された今回の道場、
設営隊の皆様のがんばりに心から感謝します。
おつかれさまでした!



さて、本日のまんぷく道場。
今日は一発勝負でいくよ。
どどーーーーん。

もはや多くは語りません。
はああ~~~、ヨダレ出る。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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